闇に流れる静寂。
終わったのであろうか。まだ男は夢を見ているかのような面持ちで、ただその情景を、亡霊を灰と消した白い厳かな光を、それに照らされて悠然と立つ一人の少女を、いや、修術士を見つる。
ふと、闇の中に“ こーーーん ”と、杖底が高鳴った。それに白い光は焔を天井高く波立たせると、闇を、呪物を、男を、動かぬラディを飲み込むように大きく崩れていく。なんと暖かな光であろう。これ程までに優しく、慈愛に満ちた光が存在するであろうか。それを頭から被った男は、ふと、眼を見開いた。そして弾かれたように左手を垣間見ると、思わず痛みを忘れたように立ち上がったではないか。いや、忘れたのではない、これは痛みが無くなった、もしくは“ 治った ”と言うべき様子である。
それに男は慌ててラディを凝視した。変わらず意識は戻っていないようだが、その顔は、まるで眠っているかのように穏やかなものになっている。“ 治った ”のだ。それ確信した男は、愕然と呟いた。
「“ 光の精霊 ”を呼んだのか」
ログリアは小さく頷いた。
今まで誰一人として喚べた者はいないと謳われる光の精霊。それは闇を照らし、邪悪を掻き消し、全ての痛みを癒す―――――世界の光そのもの。
男は驚愕に目を見開いたまま、ただ絶句する。
そんな男を他所に、突然、張り詰めた糸が切れたのかログリアは床へと崩れ落ちた。男は我に返るや慌てて少女へ駆け寄り、その手を差し出した、が、
―――それを掴んだ者は、少女ではない。
思わず片手を腰の鞘へとかけた男は、己の手を掴んだ手の先を―――僅かに白い焔燻る円環の中に目を細める。白い円環は、次第に緩やかに、焔の細波を落ち着けていく。
男の手を掴む“ この場に居る筈の無い者の手 ”。その光の中から伸びた手に、ログリアは瞳を揺らして薄れゆく焔を見た。少女と男が見つめる中、静かに、まるで役目を終えたと悟っているかのように、白い光は円環の中心へと消えていく。
そこに“ 居た ”のだ。
一人、骨に皮が纏わり付いているだけかと見紛う程に痩せ細った男が。肩で消え入りそうな息をしながら、生きている。なんということであろう。“ 中 ”から聖剣を握り、亡霊を斬ったのだ、この今にも息絶えそうに痩せた男が。この男が、ログリアへと向かう刃を、悉く止めたのだ。この、今にも命の灯火が消えそうな男が。
やがて、ゆっくりと上げられた骸骨のように落ち窪んだ顔。それにログリアは息が止まった。見覚えがあるのであろう、いや、無い筈があるまい。幾ら年月に顔貌が移ろいだとしても、忘れ得ぬ面影が確かにあるのだ。
ログリアの滲む視界に、さも不愉快そうに歪む骨だらけの顔が映る。
「お節介しやがって」
枯れた声、不機嫌に投げ掛けられた言葉は男へ向いていた。この目付き、何よりこの声は、間違いない。明け方に少女の体を借りて男に忠告して来た声の主である。
それに男は表情を柔らかく崩すや、
「その言葉は違かろう」
言いながら、身体を退けた後ろへ静かに視線を流した。痩せた男は、その視線に促されるように少女を、まるで子供のように涙で顔を“ くしゃくしゃ ”にして己を見つめているログリアを見た。ふいに骨だらけの首に抱き付いた少女に、痩せた男は言葉を詰まらせる。泣いている。ただ、ひたすらに。まるで子供のように、只々泣きじゃくっている。
痩せた男は一瞬戸惑うも、やがて照れ臭そうに満面に笑み崩した。
「遅ぇんだよ」
叩かれた懐かしい憎まれ口に、ログリアもまた、ぎこちなく―――だが心の底から“ 微笑み ”返した。
十年越しの約束、それを果たした喜びに。
十年もの間、待ち続けてくれていた幼馴染に。
闇の消えた城壁に、何処から共無く優しいイリーゾヘーラの風が吹き込む。
その風に暖かい光が一筋、全てを見守るように、全てを祝福するかのように融けてゆくのであった。