暗闇に飛び込んだ男とログリアの後ろで、けたたましい咆哮と地響きが鳴り響き始める。
先程の一戦を目の当たりにはしたものの、一人で大丈夫なのであろうかと、ログリアは背後へと視線を向けた。一方の男は、“ 親友 ”への絶対なる信頼と確信からか、真っ直ぐと暗闇を凝視したままだ。その揺るがぬ眼が僅かに細められた。
「“ 亡霊 ”のお出ましだ」
少女は弾かれたように前を、男が向ける視線の先を―――闇の深奥を見る。
音も無く、“ すぅ ”と、闇に浮かび出て来た淡く不気味な紅い光。それに反響してか、まるで蛍の灯火が如く壁に、床に散らばる呪物が淡く光り出したのだ。それを縫うように漂いながら、紅い光は人魂のように不規則に“ ゆら、ゆら ”と、蠢いては、また揺れる。もしかすれば、いや、もしかしなくとも、これは“ 人魂 ”に違いあるまい。
それに目を奪われたまま、茫然と見つめ続ける少女。綺麗、そうこの場で表すのは似付かわしく無いかもしれぬが、そうとしか言えぬ幻想めいた光景であった。ひとつ、ふたつ、みっつと、何処からとも無く人魂が現れては、“ ゆらゆら ”と、その身を淡く光らせ、やがて闇を形取るように、塗り込めるように儚く溶け合わさっていく。彼方此方で淡い光を放ち続ける呪物は、それを喜んでいるかの様で。
その光景を茫然と見つめ続けるログリアの耳には、もはやフィルボルグ達の咆哮も何もかも聞こえていないのかもしれない。何処か虚ろな眼となった少女の前で、やがて、溶け合わさった人魂は大きく膨れ上がり何かを形容していく。
人―――――では無い、これは、
男が目を細めた刹那、肥大した光から閃光が走った。それを寸出で弾いた男は、そのまま刃を翻すやログリアへとも繰り出された一閃を弾き飛ばすと、躊躇無く少女の両頬を叩いた。
だが少女は“ ぴくり ”とも動かない。充てられてしまったのであろう、揺らめく瘴気に。更にもう一発、ログリアの頬へと掌を翳した瞬間、またもや襲いかかる閃光を刃で受け留めるや、男は少女の体を突き飛ばした。それでも尚も微動だにしない少女を一瞥しながら、男は尋常ならざる力で押される刃を弾く。
豪雨のように繰り出される刃。それを全て受け切り、弾き飛ばす男の額には脂汗が滲む。重い。一刀一刀が、まるで鉛で出来た巨大な棍棒のように異常な重さなのだ。“ このままでは持たん ”、そう、男の本能が叫んだ。男は剣圧に押されながらも、暗闇からの剣筋を少しでも翻弄しするかの様に、不規則に左右へと飛び避けつつ奥へと近付き始める。
それに見事に逸れる閃光を掻い潜りながら、男は剣嵐の芽へと辿り付くやいなや再び下ろされた大振りの一刀を受け流すように円を描いて頭上高く弾き飛ばした。その懐へと一瞬の如く潜り込んだ瞬間、溝内であろう急所へと、あらん限りの力で剣柄を叩き込む。だが、手に伝わってきたのは生き物が纏う肉の感触では無い。これは……、
思考の隙間を謀られたかのように、男の腹部へと風を切った拳に反射的、まさに反射的であっただろう、受け止めるべく出した片手諸共、鉛のような拳がめり込んだのだ。そのまま力任せに振り上げられた拳に宙に放り投げられた男の体は、鈍い音を立てて床へと激突した。そのまま勢い収まらず石畳を削るように後方へ滑転するも、咄嗟に刃を突き立てて踏み留まったのは、男の潜り抜けて来たであろう死線を物語っていた。
男は込み上げた血を吐き捨てて、苦痛に顔を歪める。背後には今だ夢から醒めやらぬ少女。不意な一撃に霞む視界。軋む体を辛うじて剣に寄り掛けつつ立ち上がった男へ、容赦なく襲い掛かる閃光。己の左肩から脇腹にかけて一刀が落ちた、と、男が感じた、まさにその時。寸出のところで体が真横へと舞ったのだ。
そのまま少女の側へ“ どさり ”と 降ちた男は、響く痛みに僅かに呻いた。間髪入れず、頭上に高鳴る金属音。
「らしくないね~、まるで“ ぼろ雑巾 ”みたいになってるよ?」
聞こえた掴み所の無い声に目をやると、六爪を黒緑色に染めながら、依然襲い来る閃光に応戦するラディが横目で悠々と男を見下ろしていた。