何処か冷たく爽やかな風が草原を吹き抜ける。降り注ぐ太陽の光を全身に受けながら揺れる草葉は、青々として喜んでいるようである。
街の裏門を潜ると直ぐに視界へ飛び込んで来る遠く雄大に広がる山々。その山の麓に敷かれるように長く佇む石畳は、何処か異質な空気を放っているように視える。その石畳へと、何処までも長く続くかのような滑らかな下り坂。行き交う人々は皆、思い思いの旅支度に身を包み畦道を上へ下へと過ぎて往く。
そんな、まだまだ長閑さが残る街道にログリアは居た。
「すまんがの、向こう村まではどう行ったら良いのかのぉ?」
「確か、この道を真っ直ぐ下って行って、あそこに見える砦づたいに山を降りて行った平原の先ですよ」
“ おお、すまんのぉ ”と、曲がった腰を更に大きく曲げて会釈する老人。眠くなる程ゆっくり遠ざかって行く背中を見送りながら、ログリアは小さく溜め息を吐いた。
少女の手には粗末な枝で作られた杖が一本。それ以外に荷物らしいものといえば、背に結わえている小振りな包みが一つのみである。ログリアは遠くに聳える禍々しい石畳を眺望して、寒さにか、僅かに震えだした足を二、三度叩くと、そのまま近くの木陰に腰を下ろした。
膝の上に解いた包みには小振りな握り飯のようなものが二つ。それを美味いともなく不味いともなく頬張り始めた少女の耳に、子供達の声が聞こえてきたのだ。僅かに振り向くと、年の頃九つぐらいの男の子が二人、ログリアが凭れている木の反対側で何やら話しをしているようである。
ログリアは、それを聞くともなく握り飯を頬張っては咀嚼する。
「お前なんにも知らないんだなぁ、修術士になっただけで、精霊の力を使えるわけないじゃんか!」
「ええ!? 使えないの!?」
「あったり前だろ! 修術士ってのは教術院に入れば誰でもなれるんだから!」
「じゃあさ、どうしたら精霊の力を使えるの?」
「え? えっと“ 精霊の理 ”と“ 息吹ある杖 ”と、あと、えっと……あ! そうだ!“ 迷わぬ心 ”! この三つが在ると使えるんだって」
「む、難しいよぉ、どういう意味?」
「えっと、確か“ 精霊の理 ”が知識だろ、で、“ 息吹ある杖 ”が木の杖で、これが媒体になるんだって、最後の一個が………なんだっけ?」
「“ なんだっけ ”?」
「ま、まあ! 修術士ってのはその三つを創る為に修業してる、ただの術士の卵なんだって母ちゃんが言ってた」
「じゃあさじゃあさ、その術士はもっと凄いんだ!?」
「あったり前じゃんか! 精霊の力を使えないと成れないんだから! だからもともと素質が無い修術士だと何年経っても術士になれないんだってさ!」
「あ! それって、“ 落ちこぼれのログリア ”の事だ! 十年経っても術の一つも使えぬ落ちこぼれ~!」
「そうそう! 素質も無いのに修術士なんかになったら、お前だってログリアみたいになっちゃうんだからな!」
「うげぇ~、それだけはやだよぉ~!」
ふと、ようやく子供達は己達の反対側に座る人影に気付いて、盗み見るように覗き込むや、
「わ! “ ログリア ”だ!」
「落ちこぼれが伝染るぞ! 逃げろ逃げろ!」
と、慌てふためきつつ逃げて行ったのである。
しかしそれにログリアは、何故か怒るとも無く泣くとも無く押し黙ったまま、空になった包みを畳み始めた。朝の修道院での陰口にもだが、聞こえている筈の黒い感情に、この少女は一切眉間一つ動かさない。強靭な心の表れか、それとも心が麻痺しているためか。いや、そうではないだろう。院長と話をしている時の少女は、一辺倒な表情ではあったが―――確かに悲痛な面持ちをしていたのだから。
整えた荷を背負い、次いで足を叩き始めたログリアの耳に、再び話し声が聞こえてきた。子供の騒がしさに気付いたからであろう。見れば通行人達もまた、そんなログリアの姿を見ながら様々に口を歪めている。
「まぁた叩いてやがる」
「おお、薄気味が悪いったらねぇ」
「ありゃあ、一体なんの呪(まじな)いなんだい。能面みてぇな顔で自分の足を、ばんばん、ばんばん、てよ」
「俺たちに悪い呪いでもかけてんじゃねぇのかねぇ」
「聞いた話だと、ぐるり足が全部紫色だって言うじゃねぇか」
「落ちこぼれてるだけならまだしも、ほんと不気味でたまらねぇぜ」
「全く、泣きもしねぇし笑いもしねぇ、しかも自分で自分の足を痛めつけるときた。いっちまってんじゃねぇのか、ありゃあ。」
「ああ気味が悪いったら! 何を考えてるんだか!」
「しっ、触らぬ何とかに祟り無しだ」
吐き捨てながら足早に過ぎて行く背中を僅かに一瞥するのみで、やはり少女は硬く口を閉ざしたまま怒ろうとも泣こうともせず、自分の足を叩き続けるのみである。少女にとって、このような罵詈雑言など日常茶飯事なのであろうか。まるで感情を無くしたかの様な少女の面持ちからは、何一つ知る事は出来無い。分かる事と言えば、城壁へと向いた少女の眼が、何処か悲し気で怯えた様な色を浮かべていると言う事のみである。
何を考えているのか、それからも少女は暫く自分の足を叩き続けていたが、やがて服に付いた草を一払いすると、また、廃城壁に向けて歩き出した。
叩きすぎて痛む足を引きずりながら。